愛・おぼえていますか

あなたの嫁は誰ですか?
 
 
あなたの嫁は何人目ですか?
 
 
あなたの最初の嫁を覚えていますか?
 
 
あなたはまだ最初の嫁を愛していますか?

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1.忘却再録音
 

ここ数年で一度に放送されるアニメは激増したように思う。ジャンルは様々あるしそれ自体はまったく良いことだと思う。けれどそれと同時に視聴者の作品消費、代謝が早くなっているようにも感じた。

悲しい忘却 - こんぷれいんつ・ぶろぐ(運休中)

 
作品の消費が激しい……と以前書いたが、あれから三か月以上たってもその状況が変わっているわけではない。まあ変わるには短すぎる期間ではあったから当然といえば当然の話である。ぼーっとしている間にいくつものアニメが始まって、終わった。作品がどんどん消費され「俺の嫁」が出ては消え、出ては消え。相変わらずとっかえひっかえでコンテンツを食らっていっている。「嫁」とは一生の伴侶を指すモノではないようだ……不思議な話だ。コンテンツが枯れてしまっても「嫁」を守ろうという人間はいないのだろうか。たった一人の「嫁」に固執してしまったばかりに流行についていけなくなってしまうのか。そういう不安が最近よぎるようになってきた。
 
 
2.コンテンツという生物
 
 
コンテンツは必ず消費されることはどんな作品、どんな「嫁」でも変わることはない。が、いつまでも似たような見た目の作品や「嫁」ばかりが生まれるわけではない。客は同じものばかり見ていてはいずれ飽きてしまう。だから新しいカタチの作品、「嫁」が作られていく。そうでなければ我々はいつまでも昔のキャラクターで萌え続けるはずだ。
つまりコンテンツは生き物なのだと思う。世代交代を繰り返す(前期の作品が消費されコンテンツとして終了され、次期作品に変わる)ごとにその時代(客層)に合わせた形(作品形式、「嫁」)に進化、適応していく。世代交代が遅い(一期ごとの作品消費が遅い)ということはつまりその形が時代に合っていて、かつその時代が長く続いている証拠である。
しかし、いまはその真逆である。世代交代が驚異的なスピードで起きているのだ。時代がコロコロと変わり、それに合わせてどんどんと形を変えていかなければ生きていけない。
時代についていくためには「嫁」だってどんどん取り替えていかなければやっていけないのである。正直悲しい気もするが。一生の愛を誓ってしまった日には時代から捨てられることを覚悟しなければならないわけだ。
 
 
3.進化の果て、異形の「嫁」
 
 
世代交代が早くなれば形もどんどんと変わっていく。あなたが愛でているその「嫁」も数年したら過去にされるかもしれないし、あるいはさらに新たな形をした「嫁」が表れても何ら不思議はない。
実際、最近は本当に驚異的なスピードで作品が消費されていくのだ。ちょっと目を離せば今までではありえないような「嫁」だって生まれる可能性はある。毎期毎期注意深く見ていかないと本当に時代に取り残される。
私は私の「嫁」を過去にしたくないのだ。もちろん「嫁」の出る作品も。だが昨今の暴食気味なレベルでの作品消費によってあっという間に風化していくので悲しいことしきり。そして時代は私を取り残して、私の萌えられる範疇を超えた「嫁」が生まれていくのではないか?
これからどのような作品が、「嫁」が生まれるのかはわからない。私がなんということなく萌えられる「嫁」が生まれるかもしれないし、あるいはもうまっとうな物体ではない何かが「嫁」として出てくるかもしれない。そのとき私はその新しい「嫁」を迎えるのだろうか?
過激な「嫁」は今の所まだ生まれてないように見えるが、出現はおそらくひっそりとであるだろうし、きっと既存の属性に紛れてやってくる。今まであまりメジャーではなかった萌え属性がいずれそうやってメジャーの領域に入り込んでくる可能性はいくらでもある。マイナーといってもちょっと奥に足を踏み入れればいっぱいある。我々が気づかないだけだ。例を挙げると人を傷つけかねないのであまり名指しではあげないが、あえて一つ上げるとすると……「単眼」などは割とマイナー属性の中でもわかりやすいものに入るだろうか?言わずもがな、目が一つ。隻眼ではなく、神話に登場するサイクロプスのような眼を持ったキャラクターである。今現在では少なくとも私自身はまだ萌えにくい素材であると感じているが、これは簡単になじませることができる。たとえば「妖怪」として。小っちゃくておっちょこちょいの一つ目小僧の女の子、と設定してやると意外とこれが萌やしやすい。こうして既存の属性と混ぜることでマイナーな萌え属性も容易にメジャー業界へと昇華できるわけだ。こうやって様々な属性の萌え属性が増えていき、気づけば今の我々では想像もつかない「嫁」が生まれかねないわけだ。
といっても、おそらくそういった経緯を経て今のメジャー属性も生まれていたのだとも思う。でなければいつまでもきっと私たちより前の世代の方々が愛でてきたキャラクターが過去になる理由がない。私の「嫁」もあなたの「嫁」も、もとは前の世代の人々が異形であると蔑んできた形だったとしても何の不思議もない。
念のため言っておくが、もちろん単眼属性が悪いというわけでもマイナー属性すべてが悪いということは全くないということは百も承知である。ただし、その中でもごくごく稀に本当に理解を超えた衝撃的な属性というものがあるのだ。それが何気にひっそりとほかの属性に交じってメジャー化されてしまうというのが怖いのだ。その時でも私は、私たちは、その属性を認めてしまうのだろうか……?
 
 
4.進化の果て、異形の「物語」
 
 
私たちが異形と感じるような「嫁」は今のところまだ生まれていないようにも感じられるが、「嫁」を取り囲む「作品」はすでに異形ともいえる物が生まれつつあると思う。
作品を猛スピードで代謝して飽きていく視聴者を手っ取り早くひきつける方法とは何か。
過激化。
過激な描写は方向性を持ったアニメが少しずつ増えている気がするのだ。ただの萌えじゃだめだ、じゃあエロにしよう。そうやって地上波では放送できないとすら思える性描写を持ったアニメが生まれたり、あるいは別の方向性、グロで話題性を持っていこうとしたり。ショッキングなシーンであれば問題になるがその分、客を引き付けられる。そういった過激化が始まっている気がするのだ。都条例に引っかかって死ぬ、というのも非常に怖いのだが、それはそれで今まで青天井だった過激な描写に対して一つの区切りをつけられるし、いくら規制されてもオタクはそれを「歪曲表現」によって描写を変化させ生き抜いてきた。だから規制は嫌なのはわかっているがその点ではまだマシな結末であろうと思う(もちろん支持はしない。自分から縛られようなどというほどマゾヒストではないので)。それよりもむしろすべての過激な描写に対して視聴者が飽きてしまうことが心配だ。既存の萌えも飽きた、エロもグロもやりすぎて見慣れた。どんどんどんどんと新しい刺激的なコンテンツをすぐにでも製造しなければ!と、手っ取り早い「過激化」へとさらに加速していき、それすらも視聴者はすぐに飽き、やがて何を見ても「面白くない」と感じてしまう日が来るのではないか?そうやって出すべき方向性を失っていき現在の萌えアニメ産業そのものの衰退を引き起こす可能性というのは、ありえないことではないのかもしれない。まるで言い過ぎな終末論の様な響きがあるが、実際今の勢いではそれが否定できない気配を持っていると思うのだ。
 
 
5.愛に時間を
 
 
これはあくまで個人的な願望に過ぎない部分だが、一応端っこにでも書いておきたい。
今はまだ多少の過激な作品でも見ていられる範疇ではあるが、そうやって極端な過激化が進んでいった先に私はついていくことができるという自信はあまりない。いや、もしかしたらそれすらも「慣れ」てしまうのかもしれないが。といっても、そもそも一生の「嫁」を決めてしまった時点で私自身は時代についていくことをやめてしまっている節があるのではあるが。
時代についていくことをやめた人。そういった人種というのは、別にいまに始まったことじゃない。数十年前のキャラクターを理想の女性像にしている人間は結構いるはずだ。南ちゃんが、とか、ラムちゃんが、とか。おそらく彼らは世代交代について行かなかった人たちなのではないだろうか?彼らのいうことはわからないでもないが、だが時代が変わり、萌え属性が違う私たちには南ちゃんやラムちゃんに萌えることはできないから時代遅れとしてちょっと笑いの対象として扱われることもある。世代交代をしなかった人間はそんな風に周囲から扱われるのではないか。だとすればきっと、私が「長門俺の嫁」と言い張り続ければ世代交代から取り残され、嘲笑の対象にされてしまうのではないか?
時代遅れで、当時のものを愛でつづけ、ノスタルジーに浸る老人のごとく。
「昔、おじさんの時代にはねえ、「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品があってじゃな……」なんて。考えただけで寒気がする。私は私の「嫁」を過去にしたくないのだ。

だからあえてこそ言いたい。コンテンツの消費をもっと遅くしてほしい。過去のコンテンツを愛した者として切に願う。

終わったコンテンツを愛する人間として、進行形のコンテンツを愛するファン、信者、オタクたちが飽きないように捨てないように、消費をどうにかして遅らせてほしい。「嫁」たちがあまりにもかわいそうだから。
たとえば、私自身も触れてきた作品だからこそ少しのひいきが混じってしまうかもしれないが、「けいおん!」には長生きしてほしいのだ。これといってスキャンダラスな話題もなく平和的に消費されている作品だし、みんなが楽しく「嫁」を愛でているのを見ると「この光景を少しでも長く見ていたい」と思うのだ。私の「嫁」は色々な話題によって短命に終わってしまったところがあるから、次の世代に対してはそう思ってやまない。
みんなが少しでも長くあずにゃんをペロペロしていてほしい。
といっても正直、「けいおん!」劇場版を持ってこれもコンテンツとして一区切りがつけられてしまうのが悲しいところだ。終わりが見えるというのは悲しいものだなあ……としみじみ。
もちろんこれは「けいおん!」に限ったことではない。「嫁」の高速消費は見ていてつらいし、そして私と似たように「永遠の誓い」を立てた人も少人数ながらいるはずなのだ。そういった人々はコンテンツが終了しても愛することをやめない。だから傷つくのである。誓いを立てるわけのない普通の視聴者がコンテンツの終了によって一気に離散していくのは非常につらい光景なのだ。名作として名を刻むわけでもなく、大多数の人々からはゆっくりと忘却されていく。自身が愛していても周りからは「そんな作品もあったねえ」と懐かしいという感情で思い出されるのが最高に傷つく言葉なのだ。でも実際に過去になってしまったことには変わりがない。だからこそ先人たちと同じように、時代が過ぎ去っても同じ作品を、同じ「嫁」をたった一人で愛でるしかない。
が。少なくとも私は。自分の愛した作品を、「嫁」を過去にしたくはないのである。
ノスタルジーに浸る爺みたいな真似だけはしたくない。私はこの作品が好き「だった」ではない。進行形で好き「である」。楽し「かった」じゃいやなのだ。悪あがきなのはわかっているが、こういう感覚を少しでも緩和したい、こんなザマになるのを少しでも先延ばしにしたい、そういう思いは実際にある。だからこそ私はコンテンツ消費を遅くしてほしいと、どんな方法なら可能なのかはわからないが、それでもスピードの低下を願ってやまないのである。
 
 
 

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あなたの嫁は誰ですか?
 
 
あなたの嫁は何人目ですか?
 
 
あなたの最初の嫁を覚えていますか?
 
 
あなたはまだ最初の嫁を愛していますか?
 
 
あなたは嫁に永遠の愛を誓えますか?